「ばり研」(=ノイエ)は、http://blog.goo.ne.jp/neue-blogです。
以下、「ばり研通信」185号(2016年5月末発行)の私の連載より、一部、修正して掲載してます。
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とりあえずいってみますかぁ♪ #81
* 路上遊びや七輪がつくりだす「場」というもの *
様々な人と出会って話したりすることで…と、話しにはよく出てきますが、実際に、知らない人と出会って話しをするようなリアルな「場」は、普段の日常にはなかなか無いように思います。街の中で、知らない人にも話しかける習慣?や、なんとなく人が溜まっている時間や「場」が、減っているからでしょうか。わざわざ申し込んで通うような「場」ではなく、普段の暮らしの中に、以前はそういう「場」があったんだなぁ…と思う機会があったので、少し書いてみようと思います。

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イベントに来た人やたまたま通りすがりの人、その子どもたちなど様々な人が入り混じって、緩やかに流れる時間の中で、それぞれに遊んでいきます。昔の路地のような雰囲気は、とても良い空気感の「場」でした。誰かが仕切らなくても、立ち止まった人が遊びの話しをしていたり、初めて同士の子どもたちで対決していたりと、人の出会いってこういうものだよな…と感じます。
落書きは、チョークではなく昔ながらのろう石です。参道の敷石一枚一枚が、子どもたちが好き勝手に描くキャンバスになっていました。路上を移動する「動くこたつ」では、子どもたちがカルタなどしながら、ロープで引かれて動いて行くのを楽しんでいました。ベーゴマは、今どきの子どもたちには手強いですが、通りすがりの昔の子ども(=オジサン)たちが集まってきて、ひとしきり盛り上がっていました。氷川神社の参道という場所柄ですかね。


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店先の駐車場に七輪を並べて、地べたに座って、椎茸やネギやおにぎりを焼いたり、マシュマロやお煎餅を焼いてもらってりです。この様子がなんとなくユルい空間を創り出していて、来た人が立ち止まってみたくなる「場」になっていました。子どもたちにとっても、火遊びではないですが熱い炭があって、そこで自分でマシュマロを炙ったりするに惹かれるようです。
この市には毎回、七輪の店番をやるためだけ?にやってくる小学生の兄弟がいます。お兄ちゃんと話しながら、どうしてこの空間が好きなのか聞くと、「七輪やってみんな笑顔になるから」とのことでした。今どきは、大人よりも大変かもしれないので、彼らにとっても気持ちを緩める「場」なのかもです。大人たちのように、終わった後の打上げビールという「場」で、互いに話して自分を取り戻して…という訳にはいかないですしね。

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