2016年11月21日
【ばり研通信】82_三角ベースとペタジーニとライオンズと♪
「ばり研」(=ノイエ)は、http://blog.goo.ne.jp/neue-blogです。
以下、「ばり研通信」187号(2016年7月末発行)の私の連載より、一部、修正して掲載してます。
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とりあえずいってみますかぁ♪ #82
* 三角ベースとペタジーニとライオンズと♪ *
ノイエで連載ネタを考えてると、Bさんから「コリジョンルールがよく分からない…」という話しがでました。そこから野球の話しをする中で、そういえばノイエの野球好きの面々は、自分自身はどう野球をやったり観たりしてきたのか聞いてみたくなりました。
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まずは「はあとねっと輪っふる」さんの「かわら版」に、よく野球のことを書いているAさんです。Aさんは電動車イスを利用しています。野球は、養護学校の「小学5,6年」の頃に「体育で三角ベースをやっていた」そうです。「養護学校の多目的室で」「四つ這いで」やっていて、ピッチャーが「転がしたボールを、カラーのバット(プラバット)で打って」、「四つ這いで一塁へ」走った?そうです。ボールは「黄色いスポンジの」ボールを使っていたそうです。
プロ野球は「(先輩の)Cさんが中学3年くらいで、西武ライオンズのファンクラブに入っていて、(その時に)自分は小学3年くらいで、いいなと思っていた」と。初めてプロ野球の試合を観に行ったのは「小学校の5,6年の頃、西武ライオンズの試合を観に、家族で西武球場に行った」そうです。でもその時は、「全部(試合終了まで)観たいと言ったけれど、混むからと7回くらいで帰り、すごく残念だった」そうです。
一方、電動アシスト車イスを利用しているBさんは、野球は「普通小学校に行ってた時、5,6年の体育の授業でもやりました」と。「手でゴムボールを打つ」野球だったけれど、「自分だけプラバットを使って、ペタジーニのまねをしたりして、(他の人からは)うらやましいなぁと言われてました」そうです。家でも「4人兄弟で、うちの庭で野球もして」いて、「母親の実家の庭が広いので、そこでもやっていました」と。「グローブも持っていて」、「ゴムボールから、小学5,6年の頃に軟式になりグローブを買った」けれど、「中学で手が入らなくなって、野球をやっていた弟が行ってたスポーツ洋品店へ行って、オールラウンド用を買いました」とのことです。「バッティングセンターにも、中学の頃に2,3回行った」ことがあるそうです。
プロ野球は「小学5,6年の頃、東京ドームへ、家族と巨人-阪神戦を見に行きました」そうで、「阪神の応援がうるさかった」のを覚えているそうです。「(当時巨人にいた)ペタジーニが、(アウトカウントを)間違えてボールをスタンドに投げ入れて、なにやってんだろう…と思った」そうです。
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私は、小学2,3年生の頃から、近所の遊び仲間で野球をやっていましたが、都内なので住宅に囲まれた駐車場での遊び野球でした。ゴムボールとプラバットとはいえ、車や家にボールがガンガン当たるのは当たり前で、ガラス戸に当たるとさすがに謝りに行き、家の敷地内に入ってしまうと「ボールとらしてください」と言うだけ言って勝手に入って取りに行き、ホームランは平屋の住宅の屋根を越えたらという、今では考えられない野球でした。これはさすがに小学生の間まででしたが…。野球のルールは、高学年の子が教えてくれたのですが、地面を転がるボールは「ゴロ」と教えられた時の「五郎?」という違和感は、今でも鮮明に覚えています。
プロ野球は、私も西武沿線育ちなので、小学校5年(だったかな)の球団創設時に、自動的に?ライオンズファンクラブに入り、西武球場へ通うようになりました。親と行ったこともありますが、ほとんどは小学校の友達仲間だけで球場へ行っていたと思います。ファンクラブの小学生は、外野芝生席から内野自由席が出入り自由だったので、野球を観に行ったというより、西武球場で食べたり走り回ったりと遊びに行っていた印象で、試合のことは全く記憶に残っていません…。松沼兄さんの投球フォームや、キャッチャーが受けるミットの音の記憶は、もっと後の、中学になってからな気がします…。
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posted by ki at 14:58| Comment(0)
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