2016年03月01日

【ばり研通信】73_特別支援学校の学生さん達に伝えるとしたら…


「ばり研」(=ノイエ)は、http://blog.goo.ne.jp/neue-blogです。
以下、「ばり研通信」177号(2015年7月末発行)の私の連載より、一部、修正して掲載してます。
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とりあえずいってみますかぁ♪ #73

* 特別支援学校の学生さん達に伝えるとしたら… *

s160301.jpg この通信が発行されるのは、学生さんたちがそれぞれに夏休みを過ごしている頃だと思います。そこで、特別支援学校の学生さんなどに、ノイエの経験豊富な?メンバーから、自分の生活の中でどんなことを伝えてみたいか聞いてみることにしました。ただ、私から条件をお願いして、〇〇楽しいよ〜とか、〇〇気分いいよ〜という感じで伝えられることに限定して、バリアフリーとか真面目な?話しは避けてもらいました。映画
     *
 Aさんは、普段「ストレスがたまっているので」、「夏休みとか長い休みに入ると」気分がいいよ、とのことです。「どこにも行かなくていいし、面倒なやつら(ノイエのメンバー?)に会わなくていいし」と。休み中は、「どっかに行くわけでもなく、ひたすら寝て、ダラダラする」のが最高で、「休みは基本的に昼夜逆転」と。いつ頃からほっといてもらえる?ようになったか聞くと、「昔から母親が(仕事で)ほとんど家にいない」ので「一人でいられたから」と、一人で自分の時間を過ごすことが多かったようです。
 誰にもジャマされず自分の時間を過ごすことも大事…という感じでしょうか。長く寝るなど心身の回復もあると思います。こんな感じに自分の時間を過ごせるには、家族との信頼関係ができてないと…というのもありますね。モバQ

 Bさんの伝えたいと思うことは、Aさんにも手伝ってもらって考えます。その中から「いかに気付かれないようにカラオケをやって帰ってくるか…」が一番活き活きしてる?かな、となりました。人力車の販売中に、上階でやってるカラオケ教室に、ノイエの誰にも気付かれずに行って、販売の片付けまでに戻ってくる…ということです。Bさんは、どうやって行こうか様々な作戦を考えて実行していて、販売中のメンバーに気付かれないぐらいは「おちゃのこさいさい」みたい…だと。
 やりたいことは、自分でどうやってやろうか考えて実行してみる…という感じでしょうか。ただ待っていると、大抵はやらないままで過ぎてしまいますからね。るんるん

 Cさんは、「コンビニのおばさん(店員さん)が、僕が行くと、今日は何がいいの?と出て来てくれるようになった」とのことです。おばさんのどこがいいか聞くと、「覚えていてくれて、気さくにどんどん話しかけてくれて、これが買いたいと言ったらスーッと動いてくれる」と。そうなると「僕も土日も行くようになるし、そこの商品を買いながら、おばさん今日もいるかなと見たりする」と。どうしてそういう関係になれたのか聞くと、Cさんの方からも「これから仕事に行ってきます」とか「仕事帰りに顔を見に来ました」とか、話しかけているから、とのことです。
 お店などでも、自分のできないことを分かってもらうだけでなく、お互いの人づきあいがあって、もっといろんな意志疎通ができるようになる…という感じでしょうか。年齢を重ねると、気にかけてもらう立場から、徐々に気にかける立場に変わっていきますしね。晴れ

 Dさんは、「二十歳すぎの頃に、小学校の時の同級生だった友達と、ショッピングとかして、おしゃべり」するのが楽しかった、とのことです。おしゃべりはどういう感じで楽しかったか聞くと、「時間が経つのを忘れる」くらい夢中になっていたと。そういうおしゃべりはどうしたらできるようになるか聞くと、「自然体になれば」と、気負ったりしないのがいいようです。
 友達とかとおしゃべりをしよう…という感じでしょうか。様々な人と色々気軽なおしゃべりは、特に女性には楽しいと思いますし、人づきあいも広がりますよね。目

 Eさんは、「ネイルとか、おしゃれとか」がいいとのことで、特にネイルは「人に見せられるし、自分で眺めていても楽しい」とのことです。「友達との話しのネタにもなるけど、やっぱり自己満足」が大きいとも。ネイルをしていると「気持ちが晴れてくる」けれど、逆に「少しでも欠けると凹む…」のだそうです。ネイルを始めたきっかけを聞くと、「友達がキレイでうらやましかったので」と、やはり女性はおしゃれそのものが楽しいんですね。
 女性はおしゃれを楽しみましょう…、もしかしたら、今どきは男性もおしゃれを楽しみましょう…という感じでしょうか。自分の気持ちも盛り上がってきますし、自己満足は日々の活動の大事なエネルギー源だと思います。かわいい

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posted by ki at 17:09| Comment(0) | ばり研通信

2015年11月08日

【ばり研通信】72_交差点での自転車の通行に気付いてみる


「ばり研」(=ノイエ)は、http://blog.goo.ne.jp/neue-blogです。
以下、「ばり研通信」176号(2015年6月末発行)の私の連載より、一部、修正して掲載してます。
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とりあえずいってみますかぁ♪ #72

* 交差点での自転車の通行に気付いてみる *

 ここ数年、自転車と歩行者の事故を減らすため、自転車は「軽車両」「普通自転車」本来の交通ルールに従うよう指導され、街中でも自転車の走り方が変わってきています。歩行者・自転車・自動車等の各立場から、自転車通行の原則は知っておく必要があり、障害者などの通行機会の多い「信号のある交差点」の自転車の通行について整理してみます。ただし、交通ルールはあくまで原則で、まず危険防止が最優先です。
注)以下は、警察へ問い合わせ等で誤りのないよう努めていますが、表現は平易なため、正確な交通ルールの表現は各関係法規を参照してください。[以下、法:道路交通法、令:道路交通法施行令]本
     *
■車道通行の原則 [法第17条第1項、法第17条の2]
s151108a.jpg 歩道と車道の区別がある道路では、自転車は車道左端や路側帯を通行します。車道に写真のような自転車道(自転車レーン)がある場合は、その自転車レーンを通行します。ダッシュ(走り出すさま)

■自転車が歩道を通行できる場合 [法第63条の4、令第26条、法2条第3項]
s151108b.jpg1) 写真のような「自転車歩道通行可」の標識や「自転車通行指定部分」等のある歩道
2) 13歳未満(小学生以下) と70歳以上の人と障害のある人
3) 車道の状況でやむを得ない時
4) 自転車を押して歩く場合(歩行者となる)
・このように、自転車が歩道を通行するケースもあります。目

■交差点で従う信号機 [令第2条4項、法第34条]
s151108c.jpg1)車道 (自転車レーン含む) を通行する自転車
 →車両用信号機 (写真中A) に従います。
・ただし、自転車は、交差点は二段階右折のため、右折の矢印灯火等には従うことはできません。
2)横断歩道を横断する自転車
 →歩行者用信号機 (写真中B) に従います。
・ただし、歩行者用信号機が無い場合は、車両用信号機に従います。信号

s151108d.jpg 歩車分離信号機(歩行者と車両の通行時間帯を分離)のある交差点でも同じです。写真のようなスクランブル交差点でも同じですが、自転車は時計まわりの二段階右折のためルール上は「ななめ横断」等ができず、自転車は押して歩くことで「ななめ横断」等を行います。
 これら歩車分離の交差点では、自動車の運転手が、まだ、自転車が車両用信号機に従って交差点に進入してくることに慣れておらず、自動車の右左折時の危険防止を考えると、自転車は、もうしばらくは、歩行者用信号に従って横断歩道を横断する方が良いように感じます。

■例外の信号機と横断帯 [法第63条の6]
s151108e.jpg 歩行者用信号機に写真左のような表示があり、写真右の「自転車横断帯」がある場合は、1)車道を通行する自転車と2)横断歩道を横断する自転車の両方とも、この信号機に従い「自転車横断帯」を通って横断します。
 ただし、この信号機と自転車横断帯は、一部を除き撤去が進められています。モバQ
     *
 今後は、車いす利用の方などの歩行者が道路を横断する時は、車両用信号機に従って車道や自転車レーンを通行してくる自転車に注意が必要です。自転車は、歩行者よりも原付バイクに近いとイメージすると良いのですかね。るんるん

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posted by ki at 18:09| Comment(0) | ばり研通信

2015年10月30日

【ばり研通信】71_新しいメガネと目で見るということ

「ばり研」(=ノイエ)は、http://blog.goo.ne.jp/neue-blogです。
以下、「ばり研通信」175号(2015年5月末発行)の私の連載より、一部、修正して掲載してます。
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とりあえずいってみますかぁ♪ #71

* 新しいメガネと目で見るということ *

s151030.jpg ノイエメンバーのAさんは、新しいメガネを作って、いつも掛けるようになりました。新しいメガネを作りに行った話しは、同じ「ばり研通信」の別なページに載っているので、そちらを参照ください。Aさんが自分で選んだメガネは、ズレたり曲がったりしづらいイイ感じのフレームで、以前「ばり研通信」144号の#40に書いたような、掛けたくない…ということはない?ようです。以前は駅ホームからの転落があった時で、その時に持っていたメガネを掛けて慣れるようにと考えましたが、古いメガネはAさんに合っておらず?掛けにくかったようです。メガネを掛けてもレンズの外側から見ているような状態で、またすぐに掛けなくなってしまいました…。あせあせ(飛び散る汗)

 再びメガネを掛けるようになったのは、踏切で電動車イスを縁石に乗り上げてしまった…こともあると思います。歩道と車道の間の白線部分にある縁石に乗り上げたのですが、Aさんを追い越していった自転車を、自分の方へ向かって来ると見誤って?、避けようと車道側へ寄ってしまったようです。Aさんはその白線を「見えてました」と言いますが、白線をまたいで進んでしまいました…。

 Aさんは踏切以外でも、交差点で車を確認する時は、耳で車の音を聞いて判断することがあるようですし、足元の段差や縁石は、車いすから伝わってくる振動で?判断しているようにみえます。そのため、やや一か八かという判断があり、その一か八かを避けるために、目からもう少し情報を得て使えるようになれば…とノイエで話してました。目

 Aさんは「ハッキリ見えた記憶が無い」とのことで、目で見て物事を確かめることが、ずっと難しい状況だったのかなと思います。最近でも、他の人に状況を伝えたり指示する場合でも、リアルタイムに目で見たことで話すことは少なく、すでに頭で把握している情報と、用意している台本を使って話すことが多いそうです。そういわれてみると、何か話をする時に、相手の人を見ていたりすることは少ない気がします。その裏返しなのか、Aさんは耳から聞いた言葉の認識と記憶が、とても良いのですが…。

 目で確かめるのが難しい…ということは、言い換えれば、目で確かめる必要のある状況が少なかったのかもしれません。私の場合、日常生活で文字や人の顔などがよく見えないと困るのですが、Aさんはひらがな以外の文字はあまり覚えていないこともあって、文字を読む必要はあまりないようです。少し離れた人が誰かを確かめるのも、顔よりは、持っているカバンの色や全体的な雰囲気?などから判断するそうです。さらに、Aさんはその人柄から、相手の人の方から先に声を掛けられることが多そうです…。モバQ

 私としては、電動車イスで街中を進むには、自分が自転車で走るのと同じくらい、目でも情報を集めなくては…と思ってしまいますが、それが難しいAさんとしては、自分なりに必要な情報を得ながら街を歩いてきたのだと思います。

 それでも、目から得られる情報が少しでも増え、脳の認識力も上がってくれば、もう少しリスク回避につながるのではと考え、Aさんにメガネを掛けることを勧めていました。新しいメガネによって、裸眼視力0.03から矯正視力0.3へ上がったそうですが、これ以上の矯正は難しいそうです。ハッキリとは見えなくても、多少は見やすくなったと思うのですが、Aさんとしては、「(見え方は)特に変わった感じはない…」ようで、やや「大きく見えるようになった」ぐらいのようです…。

 目で見ることも、意識して見ようとしないと見えてこない…という面があると思います。なので、周りの状況や相手の様子などをリアルタイムで見て話すようにしたり、暇な時にも考え事ではなく、目で見えるモノを観察してみるようにしたりを続けることで、もう少し見えるようになるのでは…と思ってはいるのですが…。るんるん

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posted by ki at 23:50| Comment(0) | ばり研通信

2015年08月30日

【ばり研通信】68_コーラを飲みたいだけ…なんだけど。


「ばり研」は、http://blog.goo.ne.jp/neue-blogです。
以下、「ばり研通信」172号(2015年2月末発行)の私の連載より、一部、修正して掲載してます。
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とりあえずいってみますかぁ♪ #68

* コーラを飲みたいだけ…なんだけど。 *

s150830.jpg 年初の頃のことですが、こんなことがありました。コーラはどうしたら良かったのか…という答えは無く、その時その場の状況で、そこにいる人たちが話して動けばいいと思うので、人や立場によって違ってくるのだと思います。目
     *
 ふれあい福祉センターでパン販売をしていた日の15時頃でした。A君が、コーラを飲み始めた隣のB君を見て、自分も飲みたくなったようで、コーラを買ってきます、と自販機へ行きました。その日、私はスタッフの立場でトイレの介助や移動の見守りをしていたので、トイレ大丈夫?くらいは話したものの、買って飲むのは好きにどうぞと思っていました。A君は最近、飲みたい物を自分で買って飲めるのがとても楽しみ?のようです。ただ、前々回#66に書きましたが、言葉は知っていて話すこともできるのですが、それが自分の気持ちを表現するモノとしてまだつながらない感じようなので、A君の言葉よりも、動きや表情から、楽しみなのかなと私が想像しています。

 A君はこの日、10時頃〜お昼までにお茶350mLペットとヤクルトを買って飲み、お昼ご飯の時にお茶500mLペット+温かいお蕎麦の汁を飲み干していました。そして、この5時間くらいの間に3回トイレに行っていました。車いすを利用するA君は、トイレに少し介助が必要なので私が手伝っていましたが、A君自身も小便器の手すりにつかまり立ちするので、少し大変なようで、トイレは好きではないと言っています。
 その3回目のトイレの時に、飲みたいだけ飲んで行きたいだけトイレに行く…というのに私が疑問を感じ、それだと出かける時などに困るので、次のトイレは帰る前にしようか、と話してました。それでも、その1時間後くらいに、A君はまたトイレに行きたい様子が見え始めました。しかし、私との話しで?もう少し我慢しようとしていた?ようですが、その最中に、最初に書いたコーラを買いに行くとなったのでした。

 しばらくして、A君がコーラの500mLペットを買ってきました。A君は、しっかり閉まった状態のペットボトルは開けることはできないので、開けてください、と頼んできます。その時に私は、短時間で全部飲んでしまうかな…と帰りのトイレが気になり、帰りのバスや電車の途中でトイレに行きたくなると大変だからと、今飲まずに帰ってから飲んだら、と話しました。一方そこには、電動車いすを利用する先輩のCさんもいました。Cさんは、いつでも障害者の味方だからと、それでも飲みたいんです、なりたくて一人でトイレに行けないわけじゃないんです、と言い返さないと、と少し柔らかい言い方でA君に諭していました。その通りで、介助者の私の都合で、飲むのをやめたら…と言っている面も多分にあります。
 このような状況の中で、A君は、今コーラを飲みたい気持ち?と、帰ってから飲んでと言われて腹が立っている気持ち?と、言い返したいけどその言葉が分からないイライラ?と…などで、気持ちが高ぶり?身振り手振りが落ち着かなくなってしまい、キャップが閉まったままのコーラのペットボトルを口に入れ、噛んだりしてしまいます…。A君に、気持ちが言葉になって出るよう推測して話しかけますが、それでも、飲みたい!、などの気持ちを表す言葉は出てきませんでした…。

 このゴチャゴチャやってる我々を見かねて?、DさんがA君に、コーラは帰ってから飲んだ方がいいと話して、コーラをカバンにしまっていました。A君はコーラが今飲めないと分かる?とすぐに、我慢していたトイレに行きます、となり、トイレはギリギリ間に合う状況でした。A君も、飲み過ぎるとトイレに行きたくなるのは知っているのですが、飲みたい気持ちとトイレに行きたい気持ちは、まだ別々なようです。
 その後A君は、別件で他のメンバーから注意されたりもして、イライラで?さらに高ぶった気持ちを沈めるため?、ハンカチで顔や頭を拭いていましたが、それでも納まらず?、一人でトイレへ手を洗いに行っていました。かなり激しく手洗いをして?気持ちを静めたようで、全身に水が跳ねていました…。
 そんなA君に、気持ちを知りたいので話しながら聞いていくと、腹が立っていてとても悲しい気持ち、のようで、その理由は、コーラが飲めない、ことからのようでした。なので、帰り道の途中でトイレに行かないくらい、少しだけコーラを飲もうかと話し、少しずつ飲んでいました。でも半分くらいは飲んでしまい、結局私から、そこで飲むのはやめて残りは帰ってから…と話すのでした…。

 その日の帰りは、大宮駅の改札から降車駅の改札までは、一人で帰る練習を続けている日でした。センターからバス停へ行き、大宮駅までバスに乗り、駅構内を進んで大宮駅の西口側の改札へと向かいますが、その改札前までは私が離れて見ています。改札を入ってからは、A君は一人でJRの案内の人とホームへ向かうのですが、この日は、案内に来た駅員さんにトイレを頼んだようで、トイレの方へ行ってしまいました…。この時のJRの案内の駅員さんがめったにない女性の方で、トイレ大丈夫かな…と見送りました。しかし、他の人からの後日談で、この時は駅員さんがA君の介助ができず、大変だったらしいようです…。あせあせ(飛び散る汗)

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posted by ki at 11:53| Comment(0) | ばり研通信

2015年07月22日

【ばり研通信】子どもの頃のAちゃんとBちゃんとの記憶 その2

「ばり研」は、http://blog.goo.ne.jp/neue-blogです。
以下、「ばり研通信」174号(2015年4月末発行)の私の連載より、一部、修正して掲載してます。
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とりあえずいってみますかぁ♪ #70

* 子どもの頃のAちゃんとBちゃんとの記憶 その2 *

s150722.jpg Bちゃんは、小学校1年生から6年生まで、ずっと一緒の組だったクラスメイトです。Bちゃんは自閉症のような感じで、独り言のように同じ言葉をつぶやいていたり、決まった動きを繰り返したりしていました。会話をするのは難しかったですが、普通に小学校に通い、クラスでみんなと同じように授業を受けていました。体育や音楽などの授業や学校行事なども、ほとんど一緒にやっていたと思います。だた週に1日(だったかな…)、別な小学校の障害学級へ行っていました。夕方になるとBちゃんは、住んでいた団地の階段の電灯を点けるのが日課だった?ようで、自転車で各住棟をまわっていたりしました。

 学校でのBちゃんは、たまに授業中に動き回ったり教室から出て行ったりしていましたが、高学年の時には、先生はそこであえて?何もせず、クラスメイトがBちゃんに、席へ戻るよう言いにいっていた記憶があります。また、Bちゃんは、「髪の毛〜♪」と言いながら、女の子の髪をかき上げるのが好き?でしたが、それをされた女の子たちからは、「やめて!」と普通に怒られて?ました。クラスの中では、Bちゃんは会話はできなくても話せば分かるという感覚で、ダメなことはクラスメイトが伝えなければ…みたいな空気感でした。当然、Bちゃんは普通と「違う」という感覚だったのですが、何か特別なことにしてはいけない…という意識もクラス内にあり、他のクラスメイトと同じに接するものと考えていました。目

 Bちゃんは授業以外でも、班での色々な当番や放課後の勉強会などのメンバーに入っていて、そのことを先生ではなくクラスメイトから発案して伝えることになっていました。ですが、今思えば、先生の方で相当フォローしていたのだと思いますが…。ある時、体育館に5年生全員が集まり、キャンプの班を決める集会がありました。クラスで自由に2人組になり、さらに違うクラスの2人組と自由に組んで班を作る、という方法で、いっせいのせで始まりました。当然その中にBちゃんもいるのですが、Bちゃんは自分から誰かとペアにはなれないので、クラスメイトの中で自然にBちゃんを…という流れができ、その中で私がペアを組むことにしました。ただ、特に意識していないつもりだったのですが、実はその時の私には、背負ったプレッシャーが重く、本番のキャンプは仮病で休んでしまいました…。

 こんなこともありました。Bちゃんが自分のことを「Bちゃんはね…」と言ってしまうので、先生からの話しで、ある時から、Bちゃんを名字の「D君」と呼ぶように変わりました。私は、Aちゃんの経験http://home.kurade.net/article/136733298.htmlがあったので、あだ名で呼んではいけないこと=あまり親しくしてはいけないこと=他のクラスメイトとは違う対応…、というように受取りました。私以外の人はそのようには感じてないと思いますが、私はこれ以降、Bちゃんに対しては、距離が離れた感覚になったのを覚えています…。時計
     *
 私は、このAちゃんやBちゃんとのことを思い返した時、まだ物心がついてなかった?うちは、どんな人もそのままに見る感覚しか知らなかった気がしました。自分でこうしようと思って、接して見たり話したりして得たことだけが、その人の全てだったような気がします。そこから年月を経て、自分以外の人の考えや動きに触れるようになり、自分の感覚だけを頼る感じから、友達や先生などがやっている考え方、自分が暮らしている社会に広まっている?考え方を、なんとなく取り入れていったように思います。

 この歳になり、また障害者の方々や子ども達と接するようになった時、自分にも根付いていた普通の成人?とは違う特別な配慮のいる人…という意識が、逆に不必要な区別までしてしまうことに気づきました。その意識を取り払いたくなり、自分が接して得たことだけでその人を見よう…と思った時に、この何か昔に経験していた感覚?に出会ったのでした。しかしながら、もう当時のようにニュートラルにはなれないので、ただ横に並んで自分の思ったままに話したりする…(かな…)ことで、当時の感覚に近づこうとしている感じです…。モバQ

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posted by ki at 20:15| Comment(0) | ばり研通信

2015年06月01日

【ばり研通信】子どもの頃のAちゃんとBちゃんとの記憶 その1

「ばり研」は、http://blog.goo.ne.jp/neue-blogです。
以下、「ばり研通信」173号(2015年3月末発行)の私の連載より、一部、修正して掲載してます。
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とりあえずいってみますかぁ♪ #69

* 子どもの頃のAちゃんとBちゃんとの記憶 その1 *

s150601.jpg 障害のある人もない人も、同じように一緒に接することを…といわれますが、私自身は、その感覚とは少し違う、それぞれに違っているその人そのものを「○○さん」と思うような感覚…などを、手掛かりにしている気がします。障害の有無の間に区別する線のような感覚は無く、様々な人が一面に広がって存在している感覚です。もちろん制度の中では、障害者手帳の有無や認定区分など、制度上の区別はするのですが…。

 手掛かりにする…というのは、私の中にあった(らしい…)この感覚を思い出しながら、様々な人たちと接しているからです。サラリーマンを辞めた後に、たまたま障害者の方々と話したりするようになり、自然体で…と意識しずぎるうちに、逆に何も意識しない感覚がよみがえってきました。よく思い出すとそれは、約40年前、私が幼少〜小学校の頃に、地元で暮らしていたAちゃんとBちゃんと、私を含めた周りの人たちとの関係の中で経験していた感覚でした。時計
     *
 Aちゃんは、近所に住んでいた友達Cちゃんのお兄さんでした。Cちゃんとは幼稚園〜小学校まで一緒で、幼稚園の頃は、お互いの家や近所で一番遊んでいた友達でした。その時に、Aちゃんは一緒に遊ぶことはあまりできなかったのですが、近所を歩いていたりして、いつも近くにいました。その様子から、Aちゃんは小学校には行っていなかったと思います。

 今思うと、Aちゃんは、紫外線の中で生きることが難しい病気か障害か何かだったのでは…と思います。いつでも長袖+長ズボンで、首にタオルを巻き、深めに帽子をかぶっていましたが、顔や手など少し肌が見える部分はひどい炎症で、ブツブツとした腫れと出血跡のかさぶただらけでした。そのためなのか、ギョロリとした片目でしか見えないようで、言葉も「あー」という感じだけ、身体はかなり痩せていてやっと歩いていた…という記憶です。

 それでも、Aちゃんは近所をよく歩いていたので、その方がいいと、周りの人たちも思っていたのだと思います。私自身も、初めて出会った時からそういうのが「Aちゃん」だったので、かわいそうとか他の人とは違う…というような意識には、全く気が付きませんでした。なので、出会えば「あー」「Aちゃん、こんにちは」「あー」という感じで、お互いの意志は通じると思っていました。

 それは私だけではなく、近所の他の友達や大人の人たちも、Aちゃんとそういう関係だった印象です。例えば、Aちゃんは近所から離れると帰れなくなってしまうので、自分たちが外で遊んでる時は、Aちゃんをどこで見たかを意識していて、離れた所で出会うと、こっちへ戻りなよ…とか話し、Aちゃんは戻っていた記憶があります。このような、Aちゃんがそのままに取り込まれていた地元の日常の空気感や、日本語でなくても意志が通じるという感覚も、今になって思い出して手掛かりにしています。晴れ

 やがて、私やCちゃんが小学校2、3年生くらいになると、遊びに来る子どもたちも様々になり、Aちゃんを見かけては、ふざけて「化け物が来た〜」と叫んで逃げたりしてる連中もいました。そういう様子を見るようになって初めて、私は「正常」というのがあって、Aちゃんは「正常」とは違う…という感覚に気付きます。それでも、ふざけてる連中が、Aちゃんが「正常」と違うからと、本気で嫌っていた訳ではないのは感じていましたし、本当にAちゃんが苦手な人たちは、全く近づかないんだ…というのも、見てもいました。

 ただ、そのふざけたりする様子は、Cちゃんには自分のお兄さんとして見られないのが辛かったのか、遊んでいた時にポソっと「Aちゃんと呼んでくれるのは、きーちゃん(私)だけになったね…」と、私に話してきました。当時、強烈に心に響いたひと言で、その時のCちゃんの様子は今でも覚えています。私には、Aちゃんは「Aちゃん」以外の何ものでもなく、他に呼ぶ言葉を想像できなかったので、最初はとまどった記憶があります。さらに、その人の呼び方に、その人をどう思っているかが表れてしまうんだ…と、強く思うようになったひと言でした。目

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posted by ki at 22:01| Comment(0) | ばり研通信

2015年04月16日

【ばり研通信】自分の思いを言葉にして伝えること その2

「ばり研」は、http://blog.goo.ne.jp/neue-blogです。
以下、「ばり研通信」171号(2014年12月末発行)より、一部、修正して掲載してます。
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とりあえずいってみますかぁ♪ #67

* 自分の思いを言葉にして伝えること その2 *

s150416.jpg A君は、話す時の言葉や文章はしっかりしているのですが、それが事務連絡?のようで、肝心の気持ちがなかなか伝わってきません。本の文章やドラマの台詞のような表現が多く、あらかじめ考えて用意した言葉を話してるように感じます。話しの途中でも、素直に出てしまう言葉を言いかけて止め、違う言葉に言い換えることがあり、自分の中に思いはあっても、それを言葉で表現しないように抑えているようです。A君は、考え方は人それぞれ違うので…とか、話しを返してくれるとホッとする…と言います。話し相手は違う考えかもしれないので、自分の気持ちはあまり話さない方がいいと、多少不安があるのかもです。

 A君に聞くと、色々な人と話しをしたい…と言いますが、自分の話しを聞いて欲しい…そうで、話しを聞いてくれるなら相手は誰でもいい、とのことです。しかし、どんなことを話したいか聞くと、野球のこととか…と、あまり思い付かないようです。自分のことを話す意識だけでなく、相手の話しを聞きたいという気持ちもあまりないようなので、会話の中身のイメージがとても狭くなっているのかもです。逆に相手から話しかけられた場合は、聞かれたから答えるだけ…との感覚で、話し相手との間で言葉を行き来させる会話の経験は、どうしても少ないのだろうと思います。目
     *
ノイエで映画を観に行った時(私は行ってないので)のことを話している中で…。
>お昼はどうしたの?
「フードコートで食べました。」
>何食べたの?
「ステーキ炒飯を食べました。」
>なにそれ?
「炒飯の上に切られたステーキが乗ってます。」
>ステーキ炒飯はおいしかったの?
「意外に脂っこくなくさっぱりしてて、おいしかったです。」
>脂っこいの好きじゃないんだっけ?
「どちらかというと。」
>でも、ステーキと炒飯って、どちらも本来は脂っこいものの気がするけど、何でそれを選んだの?
「あ…、本当のことを言うと、味が濃いのが食べたかったんですけど、意外に味が薄くって…。」
>さっき、脂っこくなくておいしいって言ってたよ。
「そうですよね…。」
>どっちが本心?
「味が濃いのを食べたかったんですけど、そうでなかった方が…。」
>おいしかったんじゃなくて、物足んなかったってこと?
「そうですね…。」
>女性向けなのかな。女の人多かった?
「そうかもしれないですね…。」 …レストラン

 自分の話しが違ってしまったためか、徐々に意気消沈…な感じになってしまいました。この後、おいしかったです〜、良かったね〜、という段取りをしたい訳ではなく、A君が何を食べてどう感じたかをネタに話したかったことなどを伝えてます。さらに、自分の思いと話しが違ってしまったことを話してるA君の方が、困惑や思い出した物足りなさが表情に現れ、自分の言葉になっていたので、私も気持ちを感じることができるし返す言葉の幅も広がる、ことを伝えたりしました。時計
     *
 A君と話していると、本心は、一人で自分の作業をするのが好きで、他の人と特に話をしたいわけではないように感じます。一方で、それではダメで、話しをしなければいけない、と思っている気持ちも強いので、そのため、こう言わなければ…という話し方や内容になってしまうように思います。なので、プライベートの時の本来の自分は変える必要はなく、仕事など外で他の人と何かをする時のために、表向きのもう一人の自分を持つようにして、この二つを切り換えると考えたら分かりやすくならないかな…と話したりしてます。そのもう一人の自分の時に、事務連絡?だけでなく、雑談のような楽しむ会話もできればいいので、自分の本当のところを少し言葉にして話し、相手の話しにも興味を感じて言葉を返すことが、できるといいのだと思います。

 今どきは、歳上の方々から言われたことに従うのが良く、自分自身の思いや考えを築いてそれを表現することは、なかなか認めてもらえないように感じます。そのため、言葉は文字通りに使用して、そこにそれ以上の思いや気持ちを込めないようにする…という感じなのかなとも思います。ですが、私は世代なのか性格なのか、言葉面よりも、その言葉やその人から感じる気持ちの部分の方が、気になってしまうのです…。と、偉そうなことを書いてますが、私が自分の思いを込めて話すことを意識して始めたのは、大学の一人暮らしで必然を感じてからです。そこから20数年経ちますが、人付き合いや人と話すことの経験や方法は、出会った人の数だけずっと広がっていくと思っているので、未だ修行中です…。モバQ

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posted by ki at 17:09| Comment(0) | ばり研通信

2015年02月25日

【ばり研通信】自分の思いを言葉にして伝えること その1

「ばり研」は、http://blog.goo.ne.jp/neue-blogです。
以下、「ばり研通信」170号(2014年11月末発行)より、一部、修正して掲載してます。
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とりあえずいってみますかぁ♪ #66

* 自分の思いを言葉にして伝えること その1 *

s150225.jpg 以前、「ばり研通信」155号のこの連載に、#51「自分から話しかけることのハードル?」を書きました。当時のA君は、オウム返しは減ったものの、セリフのように決まった単語をポツポツと話すような感じで、今思ってることや頼みたいことを話していいんだよ、と伝え始めた頃でした。それから1年半が経過して、A君は自分が思ってることなど、かなり話すようになってきました。A君が話すようになったことで、ノイエだけでなく家族やヘルパーさんなど周りの人も、A君はもっと話すことができると思うようになり、普通に会話する機会が増えたからだと思います。そこで再び、A君に、話すことに関して以前とどう変わったか聞いてみました。まだ、自分の思ってることと、他の人から言われたことと混ざってるようですが、A君の話してる表情や言葉の言い方などに、ワクワク感が溢れ出てきます。るんるん
     *
--最近、かなり話すようになったけど、前とどう変わったと思う?
「頭がはたらくようになった。見たものとか、思ったこととかを話すように。励ましてくれるから。ヘルパーさんの時だって、お話ができるんだから。」
--以前は、自分では、どんな感じだった?
「暗い感じで、話せなかったから。」
--どうして話せなかったと思う?
「緊張してたから。英語のこととか。昔はあんまりしゃべってなかった。暗かったから。下向いてたから。」
--何か変わったきっかけが思いつく?
「明るくなった。Bさんと話しをしたり、お客さんと話しをしたり、他の人と話しをしてたから。」
--どんな話しをしてたら?
「おいしいパンの話しをしてたから。」
--自分の中で何が変わったと感じる?
「にこやかで話してる。顔つきが変わった。頭の良さが変わって、頭がまわるようになった。目がはっきりしている。」
--自分で変えた感じ?、誰かが変えてくれた感じ?
「お母さんが変えた。(自分が)素直になったからね。考えるようになったからね。Cさんの時もね、朝行って、相手の目を見てしゃべればねぇ。」
--前の自分と今の自分と、どっちがいい?
「今のがいい。Cさんが明るい感じなのがいい。」
--これから話してみたいことってある?
「パソコンのこととか。励まそうと。」
--励ますってどういうことを話すの?
「泣かないでって。暗い感じでね、泣いていてね。」
--自分が泣いたこととか覚えてるの?
「赤ちゃんの時に、ミルクがなくなって。覚えてる。」
--他に話してみたいことはある?
「赤ちゃんに泣かないでって。目を見て話してって。(女の人に)きれいですねって話したい。」ペン
     *
 我々の社会の傾向として、口などで言葉を使って意志表現をうまくできない人は、知的な面でも障害があると見なされがちです。それが発声部分だけの身体障害であっても、会話の経験不足で自分の思いを言葉で表現する方法が分からないだけであっても、です。様々な要因で、小さい頃の経験不足で言葉で話す方法が分からないだけなのに、一度、知的や精神に障害があるとみなされてしまうと、家族や学校含め、会話や人付き合いを教えられる機会が減り、できない前提の付き合いしかしてもらえなくなることが多いと感じます。そうなると、会話にとどまらずそこから広がるはずの人付き合いなどの経験も積むことができず、単に経験が無くて知らなくて分からないだけなのに、できないこと全般を「障害」を理由にしてしまう…ことがあるように思います。人権を尊重するという感覚は、障害があるといわれる人たちとの意思疎通などの会話や人付き合いでも、方法などの配慮はするけれど、自分の普段の意識や言葉のままで接する感覚なのかなと思います。目

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posted by ki at 17:41| Comment(0) | ばり研通信

2015年01月12日

【ばり研通信】車との接触を、信号機の設置条件から考える

「ばり研」は、http://blog.goo.ne.jp/neue-blogです。
以下、「ばり研通信」169号(2014年10月末発行)より、一部、修正して掲載してます。
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とりあえずいってみますかぁ♪ #65

* 車との接触を、信号機の設置条件から考える *

s150112.jpg さいたま市周辺の都市部の2車線道路でも、信号機が設置されていない交差点や横断歩道があります。その横断歩道を歩行者が渡ろうとする時は、道路交通法の歩行者保護規定(前号http://home.kurade.net/article/105730519.html参照)によって、自動車が一時停止して、歩行者が渡るのを待ってくれるのが本来です。しかし現実は、停止して渡らせてくれる車はほとんどなく、歩行者の側で、左右両方から来る車の切れ目を見つけて渡ることになります…。この、左右両方の車の流れから渡るタイミングを判断する、というのは実は難しい作業で、動き出しや横断に時間のかかる弱者の人にとっては、さらに難易度が高いことです。そこで、信号機が設置されていない交差点や横断歩道の理由を調べてみます。信号
     *
 信号機の設置は、各都道府県警察で判断されているのですが、そのための「信号機設置の指針」(平成25年12月24日付警察庁丁規発第86号、現在は平成27年3月末までの試行期間)というものがあります。その中の設置条件をみると、自動車の滞留や歩行者待機のスペースがあることや、自動車交通量が基準以上であること、学校・保育所・病院・福祉施設等で特に安全確保が必要なこと、などがあります。

 そのほかに、信号機の誤認防止のため、隣接信号機から原則150m以上離すという条件もあり、都市部では、この誤認防止の判断から信号機が設置されていない横断歩道等もあるようです。75m程度の距離であれば、信号機のある交差点や横断歩道へ弱者の人に迂回してもらうことで対応できる、との判断もあると思います。逆に、隣接信号機から150m未満でも、自動車交通量が多いため信号機が設置されている交差点も、都市部には多くあります。この場合は、誤認しないように隣接信号機を連動して制御するなどして、対応しているようです。

 もう一つ、この指針に明記はないのですが、警察の方との話しでは、踏切の近くへの信号機設置は基本的に避ける、という判断があるそうです。車いすの人の接触があった交差点も、踏切が近く信号機の設置が難しいとされています。設置を避ける理由は、踏切を渡った先の信号機から滞留した自動車が、踏切内に停止して列車と衝突するというような重大事故の可能性があり、交通事故を防止するための信号機が、別な重大事故の要因にならないようにという判断のようです。

 道路交通法には、車両等に対して踏切の直前停止と安全確認が定められていますが、こちらも現実には、踏切を渡った先のスペースの有無を確認せず、前の自動車に続いて踏切へ進入してしまう自動車があるためです…。また、信号機が踏切に近い場合、踏切に設置された信号機と誤認されてしまうこともあるようです。信号機の設置された踏切の場合は、車両等は上記の直前停止をしなくてもよいため、誤認は事故原因となり得ます。

 この踏切近くの信号機の無い交差点等の場合は、弱者の人は踏切へ迂回して、踏切が遮断した時に横断してもらうことで対応できる、との判断なのだと思います。
 踏切に近い交差点でも、非常に交通量の多い場合などはやはり信号機が設置されていますが、ほとんどの場合は、信号機の制御と踏切の遮断を連動させているようです。ただ、踏切と信号機の連動は、難しい面が色々あるそうで、事故防止の必要性が相当に高い場合に限られ、どこの踏切でも…という訳にはいかないようです。電車
     *
 これらなどから考えると、当然ながら、信号機の設置は、幅広い状況を想定して、現状での最善の判断がされていると感じます。ということは、設置の判断が広がるためには新しい何かが必要なように感じます。例えば、歩行者が車の流れを判断するのと同じことを、信号機がカメラなどから判断して、横断に最適なタイミングで信号表示を変えられないかな…と思ったりします。踏切が近い場合は、踏切側から来る車の流れが途切れたタイミングで信号を変えられれば、踏切事故の可能性を高めず、弱者の側も不必要な迂回をせずに横断できそうに思うのですが…。さらに、横断に時間がかかってる人がいる場合も、信号機が判断して青点滅の時間を延ばすようになるといいと思ったりします。目

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posted by ki at 19:25| Comment(0) | ばり研通信

2014年11月18日

【ばり研通信】車との接触を、運転者に気付かれることから考える

「ばり研」は、http://blog.goo.ne.jp/neue-blogです。
以下、「ばり研通信」168号(2014年9月末発行)より、一部、修正して掲載してます。
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とりあえずいってみますかぁ♪ #64

* 車との接触を、運転者に気付かれることから考える *

s141118.jpg 車イスを利用している人は、座った姿勢で移動するために背丈が低く、一人で道路を横断したり進んでいる時は、車の運転者から気付かれにくいことがあります。手動の車イスの人は、地面からの背丈が約100〜120cmで、幼稚園〜小学校低学年の子と同じくらいの身長です。電動車イスの人は、それよりやや背丈が高く約120cm〜140cmです。私は、車の運転中に、車イス利用の人を見かけることはあまりないですが、施設近くで見かけた時を思うと、ヘルパーさんのような一緒に歩いてる人に、先に気付づいている気がします。車(RV)

 道路交通法には歩行者保護の規定がありますが、100%その通りになるわけではありません。実際に車とぶつかってしまえば、過失云々は色々あるかもですが、当人がケガをしたり亡くなってしまう現実は、どうにもなりません。現代の人間社会の中で暮らしている以上、自分の身は自分で守るという意識が、道路を進んでいる時でも必要なのが現実です。

 ちなみに、道路交通法の主な歩行者保護規定は次の条項です。文中の「…」は読みやすくするための省略です。

第18条第2項 車両は、…歩行者の側方を通過するときは、これとの間に安全な間隔を保ち、又は徐行しなければならない。
第38条第1項 車両等は、横断歩道等に接近する場合には、…横断しようとする歩行者等がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前…で停止することができるような速度で進行しなければならない。この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。
第38条の2  車両等は、交差点又はその直近で横断歩道の設けられていない場所において歩行者が道路を横断しているときは、その歩行者の通行を妨げてはならない。
第71条第1項2号 身体障害者用の車いすが通行しているとき、目が見えない者が…つえを携え、若しくは…盲導犬を連れて通行しているとき、耳が聞こえない者若しくは…身体の障害のある者が…つえを携えて通行しているとき、又は監護者が付き添わない児童若しくは幼児が歩行しているときは、一時停止し、又は徐行して、その通行又は歩行を妨げないようにすること。
同項2の2号 前号に掲げるもののほか、高齢の歩行者、身体の障害のある歩行者その他の歩行者でその通行に支障のあるものが通行しているときは、一時停止し、又は徐行して、その通行を妨げないようにすること。


 車の運転者の側も、早めに気が付いていれば、わざわざ突っ込んで来ることはありません。なので、自分の身を守る方法の一つに、自分が道路を横断したり進んでいることを、いかに早く気付いてもらうかというのがあります。目

 そこで、ノイエのメンバーと、道路を横断したり進んだりする時に、車をどう意識しているか、どうしたら車の運転者に気付かれやすくなるか、話してみました。
 車イス利用のメンバーは、「来る車がどうか確かめて」「渡ってる最中も車を見る」「ライトを付けている」など、とのことです。道路を横断する前に車は確かめますが、横断している最中に、何か特別目立つようなことをする、ということは、さすがに無いようです。他のメンバーにも聞くと、「運転してる人を見て、行っていい?、あっども、という感じで」「渡るときは急いで」、逆に「車は意識しない、(転んだりしないよう)いつも通りで」とのことです。

 この企画のきっかけになったAさんは、一人で信号の無い道路を横断する時は、左右を確認して渡り始めると、右手を高々と伸ばし、大股で全身をはずませるような見事なオーバーアクション?で、急いで渡っていきます。車の運転者から見ても、ちょっとビックリするくらい目立つと思います。るんるん

 さて、車イス利用の人はどうしたら良いかですが、そのアイデアはメンバーも私も思いつきません…。特に手動車いすの人は、手を挙げるような動作は、車イスをこげなくなってしまうのでできません。冗談では、のぼりを立てて進むとか、フラフラ道路の真ん中進んでる方が目立つとか話しましたが、フラフラ進むのは目立つけれどそれ以上にリスクを高めるので本末転倒です…。車イスを派手に装飾するようなことも、室内の生活でも使う物なので、そうもいかないですよね…。

 話した中では、車の特に運転者の方を見て、車に気付いていることを伝えることと、夜間などの暗闇でライトや反射板で光るようにすることが、基本だと思います。ただ、車を見るのも、渡ってる最中にずっと見ることはできないので、渡る前に渡りたいことを視線で気付いてもらうことが、メインになるのかもです。車の側では、最近、車へ搭載されるようになった衝突被害軽減ブレーキにも、様々な歩行者を見つけ出し、その動きの予測精度が上がることを期待ですかね。モバQ

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posted by ki at 23:13| Comment(0) | ばり研通信